▼▼占いって信じる?▼▼

昨今巷には占いという名のものが満ち溢れています。雑誌には星占い、ワイドショーではほにゃらら占い、街角には辻占い…。なにかと占いに接する機会ってのは私たち現代人、非常に多いわけですが、どう接してるかというのはこれまた人によってさまざまだったりします。血液型選手権を縁起担ぎ程度に毎朝見てる人も居れば、ラッキーなんちゃらをホントに信じて「今日は黄色のものを身に着けないと」なんて言ってる人も居る。たっかいお金払って有名占い師のところをはしごしてる人も世の中にはいるらしいし。
これって実は結構怖いことなんですよね。「信じる」というのは、宗教と似たようなところもあって、どうせ他人も同じだろうとたかをくくって自分の価値観で計ると、ひどく相手を傷つけるかもしれないし、下手をすれば逆恨みされる可能性だってある。本気で信じてすがっちゃっている人に、安易な物言いをするのは怖い。また、全然信じてない人に占いの話なんぞすると、なに馬鹿な事言ってるんだかと白い目で見られたりもする。でも、普段付き合ってる人がどういうタイプかなんて、そうそう普段占いの話なんかするわけじゃないから、話してみるまで分からないんですよね。いきなりヤバい雲行きに…ならないなんて保証はないでしょ?
私の場合、占いは好きだけど、当たると信じてるわけじゃない。カードを繰って、これまでの学習と経験をもとに読みもするけど、それが当たってると「信じて」いるわけじゃない。こう読める、と「考えて」いるだけ。もちろん、当たっていないと「信じて」いるわけでもないです。もしかしたら科学で推し量れない世界意識のようなものが、78種類の単語しか持たない片言の言語で語りかけてきているのかもしれない。少なくとも、そう考えることは私にとって楽しいし面白いから、そうだといいなと思って解読を試みるわけです。だから、私のやっていることは占いではないのかもしれない。でも行為そのものは占いと同じだし、結果を信じる信じないはそれを見る人の自由。無責任かもしれないけど、そういう前提を置かないと、この世界怖くてやってられませんって。

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▼▼神託ではなく相談相手▼▼

「ねぇねぇ、これってど〜思うぅ?」
「え〜、私だったらこうやと思うけど、まぁあんたの人生やねんから自分で選びぃや。後で『あんたの言うこと聞いたのに上手いこといかへんかったやん』言われても責任もたれへんもん」
人間相手ならこういう会話は結構自然だと思うのですが、不思議なことに占い師相手だとこういう会話にはならないもんみたいですね。
株だって、「絶対上がる株」なんてないんだし、占いだって「絶対あたる」なんて言われると私なんかは逆にすげ〜インチキくさく感じるんですが(^_^;;
他人って、自分が思ってるよりずっと、自分と違うと思うんです。自分では当たり前だと思うことを、当たり前のように話しても、話が通じなかったりする。とくに今のだんな相手だとそう思うことがばしばしあります(笑) だからこそ、思いも寄らない角度から、自分の先がどう見えるかを教えてくれる。いろんな人から話を聞くということは、多角的に物事を見る手段だと思うわけです。
その分、いろんな人からのアドバイスをすべて盲目的に遂行していたら、逆に船頭多くして、ということになりかねない。あくまでも、「じゃあ私はどうしようか」と考える必要があると思います。
カードもその相談相手の一人。サイコロ転がすのだっておんなじです。確率かもしれない。偶然かもしれない。でももしかしたら意味のある答えかもしれない。もしそうだとしたら、何を教えようとしているのか。読み取ってみて、なにかしら事柄が浮かび上がってきたとすれば、それに関して思い当たることがあるかどうか。少なくとも、自問するきっかけにはなる。
選ぶのは自分。それだけは、決して忘れちゃいけませんよね。だって自分の人生なんだもの。

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